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JB Press 2014.04.08(火)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40354
先進国の「寛容さ」が無用な戦争を防ぐ先進国の台頭で移り変わるグローバルスタンダード
グローバル社会のルールは決して不変ではない。
ルールはグローバル社会の発展と変化に伴って少しずつ変わるものである。
いつの時代も同じことだが、強者が自らにとって有利になるように作り変えてしまうのだ。
冷戦時代のグローバル社会のルールは統一されたものではなく、東西に分かれていた。
旧社会主義陣営では、旧ソ連を軸にしてその秩序が形成されていた。
旧西側陣営では、米国が秩序の形成に重要な役割を果たしていた。
1990年代初期、旧社会主義陣営の敗北によって冷戦が終焉した。
それ以降、グローバリゼーションが急速に進展した。
グローバル社会の新たなルールは西側陣営を軸に作られた
。敗北した旧社会主義陣営が西側陣営のルールに心の底から従っているわけではない。
敗者として仕方がなく従っているだけである。
■鄧小平の「韜光養晦」はもう聞こえない
中国の場合、あへん戦争以降のこれまでの約170年間のうち、「改革開放」政策の三十余年を除いて約140年間は先進工業国に負け続けてきた。
中国にとって、グローバル社会のルールに正義などなかった。
それは、侵略と蹂躙の道具でしかなかったのだ。
毛沢東時代の中国では、近代史上、中国人が西洋人に「東亜病夫」(東アジアの病人)と呼ばれていることが学校で教え込まれた。
中国でナショナリズムが台頭しているとすれば、その根っこは毛沢東時代の歴史教育にある。
ただし皮肉なことに、毛沢東時代の中国では、食糧不足が続き、痩せ細った子供が多かった。
当時の中国人は西洋人の傲慢さに怒りを覚えていたが、同時に、たくさんの痩せ細った子供を目のあたりにして、西洋人の言う通りではないかと思わざるを得なかった。
鄧小平時代に入ってから、食糧事情は急速に改善されたが、中国人の平均身長はほとんど伸びなかった。
一方、「改革開放」政策以降、中国で放映された日本の映画を見た中国人は誰もが驚いた。
現代の日本人は中国の歴史教科書の中で描写されている「小日本」ではなく、中国人と同じくらいの身長があったからだ。
毛沢東時代の過ちを是正するために、鄧小平は「改革開放」政策を推進した。
自由化を柱とする「改革開放」政策は中国社会に空前の繁栄をもたらした。
人間は貧しくなればなるほど自信を失ってしまう。
それと同じように、国も貧困に見舞われれば、すべてについて消極的になる。
反対に万事が順風満帆に運ばれるとき、国民は鼻息が荒くなる。
鄧小平は生前、中国国民に「韜光養晦」でなければならないことを唱えていた。
「韜光養晦」とは、日本語で「能ある鷹は爪を隠す」と解釈されているようだが、要するに、経済が発展しても謙虚な気持ちを忘れてはならないということだろう。
今となっては鄧小平の真意は分からないが、おそらく鄧小平から見ると、中国の経済発展レベルは、爪を見せてもいいというレベルにはまだ至っていないから爪を隠せ、と言いたかったのに違いない。
だが、現在の中国国民に、鄧小平のその言葉はもはや聞こえない。
■きしみが生じている既存の海洋ルール
アメリカの中国ウォッチャーと国際政治の専門家の多くは、中国がOECDに入っていないため、グローバル社会(先進国)のルールに従わないことを心配している。
彼らはチャイナリスクを管理するために、中国をグローバルコミュニティに受け入れることを提言する。
それは正しい見方だが、それでも中国が既存のグローバル社会のルールに従う保証はない。
中国にしてみれば、グローバルコミュニティで定められているルールに従う義務はないのだ。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は、フォーブスのウェブサイトに
“China unfettered: Redefining the Rules of the Sea”(中国は海洋ルールを再定義する)
と題する記事を寄稿をした。
東アジアにおいて中国の動向を心配する声が少なくないが、中国の拡張的な海洋戦略の背景には同国の経済発展があるだけでなく、既存の海洋ルールでは領土と領海の紛争を公平に裁くことができないことも一因となっている。
リー元首相によれば、中国が、争いのある領海のオーナーシップ(所有権)を主張するのは、単なる当該海域に豊富な資源があるからではなく、領有権の主張を通じてグローバル社会における自らの地位を固めたいからだという。
要するに、中国はもう「東亜病夫」ではないとグローバル社会に示したいのである。
1945年に第2次世界大戦が終戦してから90年代初期まで冷戦が続いた。
それ以降、国際社会のグローバル化が進んだが、グローバル社会のルールはほとんど見直されなかった。
これまでの二十余年間、世界で経済が最も発展したのはBRICsを中心とする新興国だった。
少なくとも、BRICsの4カ国(ブラジル、ロシア、インド、中国)はすでに鄧小平が言う「韜光養晦」のステージを乗り越えた。
これからは新興国が既存のグローバルルールにチャレンジする時代となるだろう。
■見直されるグローバル社会の秩序
ある領土・領海の領有権が、ある国の固有のものである、というロジックは説得力が乏しい。
例えばフォークランド諸島(スペイン語で「マルビナス諸島」)は歴史的に見てイングランドの固有の領土とは認められないだろう。
領土・領海の領有権は、その時代の関係国の総合的な国力の強弱によって移り変わるのが現実だ。
リー元首相は、中国は南シナ海の領海の領有権を主張するために、かつて鄭和が南海を遠征したとき何の妨げにも遭遇しなかったことを引き合いに出すことができる、と述べている。
グローバル社会の紛争は簡単に白黒をつけることができるものではない。
当事者の立場はそれぞれ異なるため、あえて決着しようとすると戦争になってしまう。
国際紛争を解決する一番の方法は白黒をつけず、戦略的に曖昧にすることである。
これより先、先進国が心の準備をしておくべきことは、
新興国が台頭することによってグローバル社会の秩序が見直されることを、ある程度受け入れなければならないということだ。
歴史が示すように、先進国は新興国を封じ込むことができない。
先進国が強硬路線に出た場合、戦争になる可能性が高い。
これからのグローバル社会が平和と繁栄を実現するには、先進国が今まで以上に“inclusive”(寛容性)を身につける必要がある。
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柯 隆 Ka Ryu
富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。
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【輝かしい未来が描けなくなった寂しさ】
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