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JB Press 2014.05.28(水)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40795
エドワード・ルトワック博士が語る
中国が「自滅」する理由
日本は東アジアで何をすべきか
ずいぶん久しぶりに、日本が直面する大きな課題について、文字通り地球儀を俯瞰しながら話せる人物と知り合いになった。
その人は、いくつかの全く異なる言葉を母国語のように操りつつ、筆者に、マシンガンで「知恵」の弾丸をぶつけるかのごとく語りかけてくる。
知恵の塊というのは、このような人物のことを言うのだろう。
アジアから中東、歴史から文学まで縦横無尽に語る。
ウクライナにおけるロシアの「モンゴル的資質」を語ったかと思えば、戦争をしても残虐なことは決してできない、エジプト人の「農民的」な性格について、冷血なシリア人の性格と対比しながら解き明かす。
そう、アメリカの戦略論の碩学、エドワード・ルトワック博士である。
日本では『自滅する中国』(芙蓉書房出版)という簡潔で分かりやすい戦略の本を書いた人物として知られている。
■生死ぎりぎりの体験に裏付けられた知恵
ルトワックの人物像を一言で説明することは実に難しい。
象牙の塔で本ばかり読んでいるような、ブッキッシュな知識人ではないからだ。
もともとルーマニアの富裕なユダヤ系家庭に生まれたルトワックは、第3次中東戦争や第4次中東戦争にも、イスラエルの一兵士として参加している。
アラビア語で筆者と会話を始めると、戦争中に教養豊かなシリア人を尋問したので古典アラビア語をよく学べたと、嬉々として言う。
1982年のイスラエルのレバノン侵攻でも、斥候兵としてPLOから奪った車に乗り込み、ベイルートを越えて、レバノンの北部まで進出し、ライフルを担いで行く手に潜む敵を制圧したという。
イラク戦争後には、クルド地域のエルビルからバグダードまで体一つで、テロのリスクがあるにもかかわらず、自ら自動車を数時間運転して、筆者とも共通の知り合いの著名なイラク人政治家のところまで遊びに行ったらしい。
最近でも、危機管理のコンサルタントとして中南米のコロンビアに行き、人質解放の交渉にもあたり、依頼が舞い込めばフィリピンの海軍の指導にも行く。
一昔前には、ペルーのフジモリ大統領に対してセンデロ・ルミノソ対策の助言をしていたともいう。
一方で、幼少期は家族と独仏両語で自在に会話しながら、家庭教師からヘブライ語とアラム語を習い、後に家族とともにイタリアのシチリア島に移住し、英米の大学で学んだという人物なのだ。
知識は経験と一体となって、知恵になる。
ルトワックの知恵とは、生死ぎりぎりの体験に裏付けられた、ひどく手堅くて、そして、誰にも分かる簡素なもののようだ。
■中国はなぜ自滅するのか
さて、今回御紹介したいのは、ルトワックが日本に来て、中国について語ったことである。
さも、難しいことを語ったのかと問われれば、さにあらず。
あっけないほどにシンプルな話であった。
彼の話は、大概次のようなものだ。
★・中国の戦略は常に間違っている。
いくら戦術やオペレーションで優位にあっても、戦略で間違えば、国は負ける。
第2次世界大戦のナチス配下のドイツや、大日本帝国がその端的な例である。
★・中国が戦略で常に間違うのは、国内の利害関係があまりに複雑で、指導部の団結がないことによる。
それに、中国人は孫子の兵法を読み過ぎだ。
そもそも長期的な戦略があるなどという国ほど、戦略を誤る。
★・なぜなら、自ら戦略を考えるといっても、相手がある世界なのだから、相手の反応を考えずに行動を取る国は、常に相手の反発を受ける運命にあるからだ。
★・今、アジアで起きていることは、中国の威圧的な行動に対する大いなる反動である。
だからこそ、自分が2008年にも中国の近未来を予測することができたのは、あまりにやさしいことであった。
★・アジアの一つひとつの国々は、中国より小さいと思っているかもしれないが、インドや、日本、インドネシア、ベトナム、フィリピンなどすべての国々を合わせれば、人口でも、技術でも、経済でも中国を大きく上回る優位が生じる。
★・したがって、現在、地域で起きていることは、大きな意味で、連合や同盟に向かう動きである。
国々による差異は様々あろうが、向かう方向は同じである。
戦略というのは、そもそも分かりやすいものであるべきだが、ルトワックの言葉は、戦略そのものと言っていいほどのシンプルさである。
■中国が選んでしまった第3の道
そして、ルトワックは、中国には本来3つほどの選択肢があるという。
★・第1の最も良い選択肢は、
21世紀に入ってから、中国がしばらくの間なりとも主張してきた「平和的発展」の道を継続すること。
そうすれば、中国の周辺の国々は、誰も中国に反発することもなく、問題は生じない。
ベストな戦略である。
しかしながら、中国の国内矛盾のために、中国はこのような最善の道を取る余裕がない。
●5月20日に都内ホテルで開催されたシンポジウム「台頭する中国と日米の戦略」(主催:世界平和研究所、協力:外務省)で語るルトワック博士(右。左は筆者)
日本だけを悪者にして、日本以外の国々とは友好を継続するという道がある。
もっとも、現在の南シナ海での中国のやり方を見れば、このような選択肢ももはや残されていない。
★・第3に、中国にとっては最も悪い選択肢として、
どの国とも衝突して、結局、反発を買い、孤立していくという道が唯一残されることになる。
もはや中国には、最善の戦略に戻る選択肢は本当に残されていないのだろうか。
ルトワックの見方が正しいとすれば、筆者がこれまでに知り合った、中国の優秀で憎めない人々の顔を思い浮かべるにつけ、残念に思わざるをえない。
■日本の取るべき道とは
それにしても、日本が取るべき道はどうあるべきなのだろうか。
ルトワックの言葉に従えば、あたかも何もしなくても、物事はうまくいくかのような錯覚にも陥る。
これも、さにあらずである。
最大の課題は、ルトワックが述べるような連合や同盟は、日米同盟を除けば実態のあるものとしていまだ十分には存在していないということであろう。
そもそも、各国ごとの差異は小さいようで、大きい。
皆が皆、日本と同じような切迫感があるわけでもない。
中国から、遠く離れれば、その感じようも千差万別である。
こうした差異が、ある日、突然なくなることは決してないのである。
例えば、現在の、ASEAN諸国の動きを見ても分かるように、様々な意見の差異があることは自明である。
これを前提としながら、ASEAN諸国がどの程度に一致団結を図れるかどうかには、深刻な疑問もあろう。
きっと、その未来は、
“coalition of the willing with shades of grey”(まだらな陰影のある有志連合)
でしかないだろうと筆者が指摘すると、さりげなく賛同してくれた。
ルトワックが指摘する点で興味深いのは、米国は必ずしも、この連合や同盟を引っ張っていくリーダーのような存在になるわけではなく、むしろ、全体のバックストップ(安全装置)として下支えをする役割となるだろうと述べていることだ。
そして、ルトワックは、
この集まりの中心的な役割は、日本とインドが相当程度担うのではないかと見ていることだ(“Salute the Rising Sun” Open Magazine)。
実際、26日にインド首相に正式に就任したモディ氏が日本への強い期待感を抱いていることは、アジア地域の将来にとって大きな変革の鍵となることだろう。
ルトワックには、アジアの連合を作るためのアイデアもある。
すなわち、日本がアジア諸国と協力して、ベトナムの北部の港湾都市ハイフォンから、インド第3位の大都市コルカタまで延びるハイウエイを造れば、東アジア諸国の連帯の大きなシンボルができると言う。
■「非殺傷兵器」という実際的な知恵
もう1つ、ルトワックが語ってくれた、随分また実際的な知恵もあった。
今後は、「非殺傷兵器(Non-Lethal Weapons)」が一層重要になるというのである。
現代の国家間の問題解決の手段として、究極の軍事的な対峙に備えて抑止力を高めるだけでは、まったく不十分なのだ。
そもそも、今、東アジアで発生している事態は、国家間の全面戦争では全くない。
それは、せいぜい海上保安機関同士の小競り合いなのである。
ルトワックは、この局面で最も大事なのは、相手に付け入るすきを一切与えないということ
だと言う。
人に対する殺傷行為は愚の骨頂である。
なぜならすぐにエスカレーションにつながるからだ。
しかも同時に、我が方の領海を侵犯できるような行動の自由を相手に与えてはいけない。
そんな場合に役立つのが、現代の非殺傷兵器であるという。
我が国の自衛隊も、この点では過去の冷戦時代の思考から抜け切れていないと言えよう。
なにしろ、私たちに課せられた喫緊の課題は、低強度の紛争より一層低い次元の衝突をどうマネージするかという、知的にもひどく高度なものなのだ。
抑止理論で言うところの、「エスカレーションドミナンス」を、核戦争や通常兵器による戦争でもない、低い次元の衝突において十全に確保することは、言うは易しだが、実際には実に難しい。
おまけに非殺傷が条件となれば、天才武道家をもってしても難事であろう。
「グレイゾーン」と巷で言われている事態への対応は、決して一筋縄ではいかない。
自衛隊の運用に関しても、戦術的かつオペレーショナルなレベルでの発想の転換が求められているのである。
実は、幸いにも日本の海上保安庁そのものが、まさにこのような非殺傷兵器に近いプレゼンスを我が国の海域で示してきていると言ってもよい。
しかし、中長期的には、海上保安庁の能力向上のみでは十分ではなくなりつつあるという事実を、よく認識する必要があるのだ。
■旅立つルトワックが残した言葉
さて、日本への旅の最後に、ルトワックが筆者に残してくれたアラビア語の言葉がある。
昔、ルトワックが尋問した、教養のあるシリア人兵士から習った言葉だと言う。
“Hubb al Watan min al-Iman” ── 国(家)への愛は信仰である。
アラブ人なら誰しもが知っている言葉だ。
預言者ムハンマドが語った言葉を集めたハディース(伝承)にあるとされる言葉だ。
なぜ、ルトワックがこの言葉を筆者に残したのかは分からない。
世界をまたにかけ行動する知識人、ルトワックが追い求める理想の国のことを語りたかったのだろうか。
あるいは反対に、今世紀に入って、アジア地域をはじめとして世界で起きている、多くの未完のナショナリズムの台頭を、暗に揶揄したのだろうか。
あれほど分りやすかったシンプルな言葉の向こうで、ふっと分からないことの方が多くなったかに思えたのは、筆者の知恵のなさなのだろう。(文中敬称略)
(本稿は筆者個人の見解である)
Premium Information
松本 太 Futoshi Matsumoto
世界平和研究所 主任研究員。東京大学教養学部アジア科 昭和63年卒。外務省入省。OECD代表部書記官、在エジプト大使館参事官、内閣情報調査室国際部主幹、外務省情報統括官組織国際情報官等を経て、平成25年より現職。
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