2014年3月15日土曜日

今も満たされない中国人の心:今の中国のような「民主化」過程では本質的な変化は期待できない

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JB Press 2014.03.14(金)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40177

今も満たされない中国人の心:文革とは何だったのか?
~中国株式会社の研究

今も満たされない中国人の心

 1976年の毛沢東の死により「毛教の啓示」は突然消え去り、10年間続いた恐怖の「政治ゲーム」は終わりを告げた。
 子供たちは「心から信じていたもの」を一瞬にして失った。
 しかし、中国人が実際に失ったものは、それだけではない。

 過去50年以上にわたる共産党の支配は、一般庶民の心をずたずたにしてしまった。
 その「心の傷」はいまだ癒やされていない。
 その「心の隙間」はいまだ満たされていない。
 過去50年間の中国人の「心」の変遷を検証してみたい。

(イ).中華教による「心の救い」

 一部の少数民族を除けば、中国には「一神教」型の「神」は存在し得ない。
 大部分の中国人にとって「唯一絶対神」は、彼らの五感をはるかに超えた抽象的な存在であり、容易にはなじめなかったに違いない。

 漢民族は「神との契約」や「最後の審判」による「心の救い」を信ずるには、
 あまりにも現実的な民族である。
 それでは、中国人には「心の救い」はなかったのか。
 とんでもない。
 過去数千年間、彼らも、儒教、道教に見られるような「先祖崇拝」という「信念」を通じて、「心の救い」を得てきたのである。

 中国では、人間は「個」として存在するとともに、「家族の一員」としても存在する。
 家族の一員である以上、過去には一族の始祖から祖父母、父母に至る生命の連続が、そして将来には子、孫から末裔に至る「生命の連続」が強く意識されている。

 中国人の現世における個々の行動は、こうした強烈な「生命の連続感」*1の中で意識され、自制されてきた。
 言い換えれば、中国人は常に先祖と子孫から見られているので、「ご先祖様に申し開きのできない」「一族の名を汚す」ような行動は自然と回避される。

 彼らは、正しいことをしていれば、現世でどんなに迫害されようとも、己の死後に子孫から「立派なご先祖様として尊敬される」という固い信念によって、「心の救い」を得てきたのである。

 このような行動規範は一神教式の「救い」とは全く異質のものだ。
 しかし、その「救済」の程度、その倫理観・価値観、その行動自制の敬虔さなどすべての面で、中国人の生き様は一神教徒のそれに勝るとも劣らない。

 私はこのような中国人独特の信仰・行動様式を、イザヤ・ベンダサンに倣い、
 ここでは仮に「中華教」と呼ぶことにする。

(ロ).1949~65年(心の隙間)

 共産革命以前、内戦で国内は荒れに荒れていたが、既存宗教(儒教・仏教・道教・キリスト教など)と伝統文化はしっかりと残っていた。
 ところが、1949年に中華人民共和国が成立し、社会主義政策・教育が始まると、既存宗教は「アヘン」として否定され、民間信仰は「迷信」として軽んぜられるようになる。

 こうした共産党による非宗教化教育により、それまで「中華教」によって満たされてきた中国人の「心」に微妙な変化が生じ始める。

 最大の犠牲者は1949年以降、小中学校に通った子供たちであろう。
 代々受け継がれてきた「中華教」を疑わなかった大人たちとは異なり、彼らの「心」は「中華教」では満たされていない。

 社会主義集団化教育が本格化する*2につれて、「中華教」の占める割合は徐々に低下し始め、中国人の「心」のどこかに隙間が生じるようになる。

(ハ).1966~76年(真空化)

 証言:
 我々の中央は、正直言って今非常に厳しい状態にある。
 何が厳しいかと言えば、中国の封建主義があまりにも根が深いということです。
 僕は農村に長くいて、現在農村は封建社会主義だと心底感じた。

 上も下も、役人はみな、派閥の網をめぐらしている。
 我々の県だけじゃないですよ。
 どこでもそう。
 この閥の網に引っかかったら、どこから抜け出たらいいか分からない。

 ・・・1つの部屋から元の住人が出て行った。
 新しい人間が入ってきれいに掃除したが、どうしても昔のままに見える。
 そこで良い物も悪い物も、全部捨ててしまうみたいなもんです。
(太字イタリック部分は筆者が附した)

 ・・・今、“文革”の良い面を評価することは不可能です。*3

 既に見たように、文革中に既存宗教、伝統文化は徹底的に否定・破壊された。
 もちろん、紅衛兵が伝統文物を破壊しようとした時、体を張って守ろうとした人々が数多くいたことも事実である。
 こうした人々の「良心」は歴史に正確に記録されなければならないが、文革の嵐の中で彼らはあまりにも少数派であった。

 しかも、当時一般庶民が退避できる「私的領域」は極小化していた。
 逃げ場を失った中国人の「心」が急速に真空化していったのも当然であろう。

 「中華教」を否定することこそが「革命的」であることの証明だったから、非宗教化した中国人の「心」は、徐々に、「毛沢東思想」で充満されていった(少なくとも、そのふりをしなければならなかった)に違いない。

(ニ).1977~89年5月(自由化への期待)

 毛沢東という教祖の死により、中国人の「心」は再び真空化する。
 既存の宗教への締め付けは大幅に緩和されたが、
 文革による既存宗教・伝統文化の破壊はあまりに徹底的であり、
 人々の「心の隙間」を埋めるような「中華教」は、実態として、もはや存在していなかった。

 当然ながら、一般庶民は一転して、文革の最大の犠牲者「鄧小平」に希望を託すようになる。
 改革開放政策による経済の復興と生活水準の向上が彼らの「心」を捉えたのだ。

 1980年代に入ると政治的締め付けも幾分緩和されるようになり、庶民の「私的領域」は大幅に拡大した。
 さらに、趙紫陽の時代になると、自由化・民主化へのほのかな期待すら高まるようになった。

 この時期、中国人の「心」は伝統的な「中華教」よりも、より新しい「生活向上と自由・民主」への期待で満たされていたのではなかろうか。

(ホ).1989年6月以後(再真空化)

 1989年の天安門事件により「自由と民主」への期待は脆くも崩れ去ってしまう。
 人民解放軍による六・四事件の弾圧は、鄧小平に希望を託した中国人の「心」の「自由化」への淡い希望をも粉砕していった。
 その後現在に至るまで、この部分の真空状態は続いている。

 それでは「生活向上」への期待はどうか。
 確かに、一般庶民の生活水準は大いに向上した。
 しかし、一部の成功者は平均的庶民をはるかに超える速度で豊かになり、結果的に、貧富の格差は大幅に拡大した。

 改革開放が進むにつれ、「勝ち組」と「負け組」の格差は歴然となり、かつ徐々に挽回不能なレベルにまで広がりつつある。

 問題の根源は、
 伝統的な不平等システムが改善されないまま、
 政治的コネのある人間だけが成功する社会ができつつある
ということだ。

 文革時代に「ずる賢く」立ち回った人々が「報い」を受けないまま成功者として生き残る一方、コネのない正直者の一般庶民が一番馬鹿を見るというパターンは大きく変わらなかった。

 このような「何でもあり」が君臨する社会構造は、改革開放時代になっても、文革時代と本質的には変わっていないようだ。
 そうであるとすれば、現在も中国人の「心」の真空状態は続いているものと思われる。

(ヘ).癒やしの必要性

 「金儲け主義」だけでは文革で傷ついた人々の「心」は癒やされない。
 この当たり前の現実を今日の中国の指導者は正確に理解しているはずだ。
 だからこそ、法輪功の危険性を的確に察知し、徹底的に弾圧しているのである。

 己の心が癒やされない限り、他人を思いやる心は生まれない。
 文革時代には「やるか、やられるか」がすべてだったが、改革開放時代になっても「儲けるか、騙されるか」の二者択一しかないとすれば、過去30年間、中国人の自己中心的メンタリティには何ら変化がなかったことになる。
 このような人間が構成員であり続ける社会は、決して健全な社会ではなかろう。

 今の中国に最も必要なことは「魂の救済」と「新たな社会契約」である。
 この「社会契約」は、各個人に平等な機会を与えて「正直者が馬鹿を見ない」社会を実現し、人々に信仰を宣伝する自由を認めて傷ついた「心」を救済することにより、はじめて実現されよう。

 今流行の「3つの代表」重要思想は、共産党を救うことはあっても、一般庶民は救えない。
 コネのある「成り上がり者」が共産党の延命に手を貸すだけのことだからである。

 この「新たな社会契約」に向け、中国の新指導部は早急に重大な決断を下さなければならないだろう。
 どうしても「共産党による指導」原理を放棄できないというのであれば、少なくとも、「中華教」の復興だけは進めるべきである。

 排外的な民族主義・愛国主義ではなく、心の内面を対象とする良質な「中華教」の復興は、過去50年以上にわたり傷ついてきた庶民の「心」を癒やし、健全な市民社会の発展を促すであろう。

 逆に、万一、こうした作業を怠れば、中国社会は内部崩壊の危険に直面しかねない。
 被害者であると同時に加害者でもあった「文革世代」が中国の政治指導層に入りつつあるからである。

■文革の犠牲者だった第三世代、加害者でもあった第四世代

(イ).革命の第三世代の不幸が「文革の犠牲者」であったことだとすれば、第四世代の不幸は「文革の加害者」でもあったことであろう。

 ・・・ここまで書いて、突然思い至ったことがある。
 町の書店から文革関係の書籍が消えた理由である。

 考えてみれば、第三世代が1989年の天安門事件により政治指導層に入った頃、文革関連の文献は彼らの統治の正統性を補強するものであった。
 しかし、第四世代の指導者にとっては、こうした文献は「命取り」にもなりかねない危険な文書である。

 何故なら、文革当時、第四世代は20代後半から30代前半の若者であって、「走資派」「実権派」として批判されるには若すぎ、むしろ1世代若い紅衛兵の過激な運動に便乗して、こうした「裏切り者」を批判する立場にいられたからである。

(ロ).私は成功した第四世代がすべて「文革の加害者」だと言うつもりはない。
 第三世代にだって「加害者」はたくさんいたはずだ。

 また、現在新しい政治指導部の頂点に立った人々が、「加害者としての報い」も受けずに、「何食わぬ顔」をして権力を握っている連中だと言うつもりもない。
 彼らは恐らく何重もの資格テストに合格したのだろうから。

 しかし、これまで紹介してきた庶民の証言が正しいとすれば、新しい指導者の中には、少なくとも他人には決して言えない「暗黒の記憶」を持つ者が多数いるに違いないのだ。

 こうした「記憶」が文書として世に出るだけで、第四世代の統治の正統性を疑わせるに十分だろう。彼らはそれを恐れているに違いない。

(ハ).第四世代の苦悩も分からないわけではない。
 文革当時、彼らはまだ中堅幹部にすらなっておらず、厳密な意味では、一般庶民と同様、彼らに文革中の混乱の第一義的責任はないからだ。

 しかし、彼らが文革世代の最年長組を代表して政治指導部に入った以上、真の意味で「文革を清算する」責任があるのではないか。

 「1981年に解決済み」として第四世代が行わなかったら、文革の清算は永久に行われないだろう。
 文革中の直接の加害者である第五世代は第四世代以上に「口が重い」に違いないからである。

 私が第四世代に大いに期待しつつも、諦めに似た冷めた評価しかしていないのは、以上の理由からである。

■文革の教訓と今後の対中政策

証言:
 日本の文革世代 日本の学生たちにとっては、毛沢東というのは偉大な思想家であり、当時、矛盾論・実践論などを読むことは当然のことであった・・・。

 日本の学生たちも「文化大革命」に対する関心が高まり、毛沢東思想の影響を受けた学生たちを多数輩出するようになった。
 私がこのようなことを中国人に説明すると、彼らは目を白黒させたようなまなざしで私を見た。

 さらに、日本のマスコミである朝日新聞をはじめとするクオリティーペーパーもこの考えに同調していたと伝えると、不思議そうな顔をしていた。

 中には、紅衛兵になりたいと志願した日本人もいたし、日本にも文化大革命を起こすべきだと唱える知識人が存在していたことも話すと、彼らはさらに複雑そうな顔を私に見せた。*5
(太字イタリック部分は筆者が附した、以下同じ)

 中国の大学生に、文化大革命が1960年代後半から70年代の前半に過激化した日本の学生運動に強い影響を及ぼしたという話をすると、ほとんどの場合、皆ポカンとして、目が点になる。

 中国の若者のあまりの知識のなさには、こちらも唖然とする。
 今中国では文革に関する情報が、大量に、かつ組織的に消失しつつあるようだ。
 そうであれば、こちらも文革の記憶が薄れない今のうちに、日本人にとっての文革の教訓をできる限り書きとめておこうと思う。

教訓1:中国人は、唯一絶対的な権威の下でのみ、秩序ある行動を取る。

 1つの社会の中に複数の政治的権威が並立するようになると、
 中国人は生来の国民性である「自己中心的な勝手放題」を始め、組織的な活動ができなくなる。

 文革では、毛沢東の絶対的権威に目を奪われる傾向があるが、実際には、文革期の権力構造は非常に多元的であった。
 毛沢東の下で、「実権派」「江青派」「林彪派」等々様々な sub power center が並立し、相互間の疑心暗鬼が相乗効果で高まっていく。

 毛沢東の絶対的権威の下で、擬似「分裂状態」が作り出されたのだ。

 こうした手法は中国社会を混乱させるうえで最も効果的である。
 案の定、中国の伝統社会は、毛沢東の思い描いた通り、たった数年で完全に破壊されてしまった。 
 毛沢東はこの意味でも革命の天才である。

 中国の為政者はこのことを正確に理解しているから、いかなる時代でも常に独裁的権力を求め、それを維持しようとするのである。

教訓2: 中国人は、絶対的権威がなくなれば、内部の権力闘争により自滅する。

 権力構造が多元的な社会での混乱状態は、往々にして自己破壊的なものとなる。
 文革期の社会崩壊過程を詳しく見ていくと、多くの迫害・略奪行為は闘争参加者(すなわち一般庶民)の自発的提案により引き起こされている。

 つまり、絶対的秩序崩壊が始まれば、あとは放っておいても、自己目的実現のための「足の引っ張り合い」が際限なく発生し、自己破壊の連鎖反応が始まるのである。

 こうした現象は、1840年以降、中国人が繰り返してきたパターンそのものでもあった。
 今日の北京の人為的な交通渋滞を見ても、このことは一目瞭然であろう。
 個々の中国人の利益を極大化する行為の集合が大きな混乱を生むのだ。

 だから、中国の為政者は常に国の内外に「中華民族」共通の敵を作り出してきた。
 中国を混乱させたいのであれば、中国人を一致団結させるような行動は決してとってはならない。*6

教訓3:中国人には一定の「私的領域」が必要である。

 中国の民衆は伝統的に中央政府を信じない。
 数千年間にわたり差別・不平等が制度化されてきた社会を生き抜く民衆の智慧は、中央政府から常に一定の距離を保つことであった。

 「普遍的価値」に基づく「公平で合理的な解決」の蓄積がない社会では、
 常に「強者が正義、敗者が不正義」であったが、この敗者を一貫して保護してきたのが、中央政府の権力が事実上及ばない一般庶民の「私的領域」であった。

 文革期は、こうした「私的領域」にまで政治が入り込んだという意味で、中国史上極めて例外的な時代であろう。

 しかし、この後遺症は今も続いている。
 中国では経済、文化、科学技術など多くの分野で「政治化」という負の遺産が残っており、国家管理技術の飛躍的向上とともに、「私的領域」への政治的介入は常に拡大傾向にある。

 しかし、いくら管理技術が発達しても、13億人すべてを管理することはできない。
 中国を安定させたければ、一般庶民の健全な「私的領域」を確保し、一定の精神的・経済的「自治領域」を認める必要がある。

 こうした努力を怠れば、中国人の「心の安定」は保たれず、中国社会は常に混乱要因を内包し続けるであろう。

教訓4:権力の後ろ盾がない限り、中国人は政治的行動を起こさない。

 文革期の特徴は、いわゆる「大衆運動」が実は大衆による自発的な運動ではなく、常に政治指導者の支持または保護により発生したことであろう。
 紅衛兵運動も、造反運動も、毛沢東や江青の暗黙の支持がなければ到底長続きしなかったに違いない。

 伝統的に政治を信じない中国の民衆が自発的な政治活動を始めるとしたら、
 それはよほどの信念があるか、政治的安全が十分確保されているかのいずれかである。

 今でも個人の「私的領域」が広く認められていない中国では、近い将来、民衆による自発的な「民主主義獲得運動」が起きる可能性は極めて少ない。
 また、完全に非政治的な分野を除けば、真の「草の根」運動が起きることもない。

 一般庶民は、政治的安全が確保されて初めて行動し、「倒れる塀は皆で押せ」となるのである。
 1989年6月の第2次天安門事件の時ですら、学生たちの行動が自発的な政治活動であったとは到底思えない。
 何らかの政治的保護がなければ、あれだけ長期間、大規模な運動は維持できまい。

 「法輪功」運動については、その実態は不明である。
 もし、これが民衆の真の自発的な活動であったとすれば、現代中国では極めて例外的な現象であり、中国政府の懸念はそれなりに理解できる。
 もし、共産党の有力者がこの運動を影で保護しているのだとすれば、それ自体非常に興味深い現象であろう。

教訓5:中国人は、「来世での裁き」を信じない。

 一部の少数民族を除き、中国人は「超人間的存在による審判」を信じない。
 中国人は自ら「人間」を裁く。
 つまり、ある人間(指導者)が死去した時点で、(神ではなく)子孫(または民衆)が、その人間の生前の「評価」を下すことになる。

 ある人間が「不当に死んだ」と評価されれば、子孫は「名誉回復」のため必要な行動を取る。
 そして、その人間が有名であればあるほど、民衆の自発的行動は政治色を帯び、大規模になる。

 この種の自発的政治活動は中国人の「琴線に触れる」行動であり、既に述べた「教訓4」の数少ない例外であろう。
 いかなる強力な政府もその発生を防ぐことはできない。
 1976年4月、周恩来逝去の3カ月後に起きた第1次天安門事件などはその典型的な例である。

 そうであれば、近い将来、第2の周恩来になる可能性のある人物は趙紫陽しかいない。
 彼が死去した時、中国の一般大衆は必ず自らの意志で彼の「評価」を下すであろう。
 その時、民意は一体どこにあるだろうか。
 その結果がいかなるものにせよ、中国政府は民衆の行動を止めることはできない。

■おわりに - 「中国の特色のある民主」実現の可能性について

中国の伝統的統治は、
①.ごく少数(多くの場合1人)の政策決定者が、
②.戦略的には時々の国益を、戦術的には複数の非公式の国内政治派閥間のバランスを、
そして個人的には自己の一族郎党の利益をそれぞれ勘案しながら、
③.具体的な重要政策を決定するというものであり、
④.特に、国家的危機に関わる重要決定は、ほとんどの場合、密室・非公開で行われる。

こうしたシステムの中で、
①.賢人である為政者が
②.易姓革命が起きない程度で(民意を汲みながら)
③.具体的政策を決定するのが「中国の特色ある民主」である。

 従って、
 今の中国のような「民主化」過程では本質的な変化は期待できない
と思っている。 

*1=「中国思想を考える/未来を開く伝統」金谷治(中公新書)p166-
*2=中国では、1949年からの17年間の教育が文革時代の紅衛兵の傍若無人ぶりの間接的な原因を作った否かという議論がある。「知識青年の歴史」・・・
*3=「ドキュメント庶民が語る中国文化大革命」馮?才著、田口佐紀子訳、講談社 p189
*4=中国の宗教政策についての記述を入れる
*5=激動の中国文化大革命
*6=戦前では「対華二十一カ条の要求」、戦後では「靖国神社参拝」等が好例である。


宮家 邦彦 Kunihiko Miyake
1953年、神奈川県生まれ。東大法卒。在学中に中国語を学び、77年台湾師範大学語学留学。78年外務省入省。日米安全保障条約課長、中東アフリカ局参事官などを経て2005年退官。在北京大使館公使時代に広報文化を約3年半担当。現在、立命館大学客員教授、AOI外交政策研究所代表。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。



レコードチャイナ 配信日時:2014年4月4日 19時42分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=85908&type=0

マイホームが結婚条件の中国、各国の実情は?―中国メディア

 2014年4月1日、中国では結婚の際にマイホームが条件となることが多いため、若者の大きな負担となっている。 
 この文化について、世界各国はどのように見ているのだろうか?
 新華社通信は各国の意見を紹介した。

 英国人は「マイホームは愛情の前提ではない」と語り、米ニューヨークの市民は「結婚の条件に家を買うことが含まれていたら、ニューヨークの多くの人は結婚できない。
 ニューヨークの不動産は高いため、若者は家を買うことなど考えもしておらず、借りることが一般的だ」と中国の文化は理解できないと話した。

 一方、日本人は、
 「家を買う大変さは中国と似たようなところがあるが、結婚イコールマイホーム購入という発想は若者の中にはない。
  多くは家を借り、仕事が安定した30~40代に家を買う人が多い」
と日本の現状を紹介。
 このほか、シンガポールやカナダなどでも、結婚早々にマイホームという重圧を抱え込む中国の文化に驚きを示していた。

 ではなぜ中国人は家を買いたがるのか?
 学者は
 「中国の急速な成長とともに、国民の考え方も転換期を迎えた。
 そんな中で、 
 生活に喜びを見いだせなくなった人々は金銭を崇拝するようになり、
 家=家族という伝統的な観念を背景に、
 家を買うことで安心感を求めるようになった
と分析している。




【輝かしい未来が描けなくなった寂しさ】


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