2014年5月3日土曜日

中国、「宗教関連」で思想引き締めか:官僚の<迷信問題>

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サーチナニュース 2014-04-30 13:15
http://news.searchina.net/id/1531246

四川省元高官を事件容疑で取り調べ
・・・異例の理由「迷信活動」も=中国

 中国共産党中央紀律委員会と中国政府・監察部は29日、共産党四川省委員会の副書記だった李春城氏について「事件の容疑者」としての取り調べを始めたことを明らかにした。
 容疑として、「職務上の立場を利用して他人のために便宜を図り、巨額の賄賂を受け取った」などの他に、「職権を乱用して封建的迷信活動を行った」を挙げた。
 不正行為による官僚の摘発時に「迷信」が加えられるのは珍しい。

  李氏は不正の疑いで、2012年12月に解任された。
 「北京空港で身柄を拘束された」、「四川省成都市の自宅で身柄を拘束された」などの言い方があるが、明らかでない。
  李氏が公の場から姿を消して1年以上が経過した。
 共産党中央紀律委員会と政府・監察部は4月29日付で改めて、「厳重な党紀違反、違法行為があり、党籍を剥奪し、公職から追放した」と発表した。

  発表は、これまでの調べで判明したこととして
 「職務上の立場を利用して他人のために便宜を図り、巨額の賄賂を受け取った」、
 「その妻、娘も他人からの巨額の財物を受け取った」、
 「弟の経営活動のために利益を図った」、
 「職権を乱用して封建的迷信活動を行い、国家財政に巨額の損失をもたらした」、
 「腐敗堕落した」
を挙げた。

  本人の賄賂受け取りや家族や親族のために不正に利益を誘導することは、これまでの例でも多い。
 「腐敗堕落」は異性関係の乱脈をあらわす場合が多い。
   同件で異例なのは、処分・処罰・司法処理の理由として「迷信活動」が挙げられていることだ
 「迷信活動」の詳細は発表されていないが、李氏については失脚前、
 「事務室にある僧侶が頻繁に出入りしていた」、
 「風水師の道場建設のために多額の支出をした」
などの噂がある。 
 中国では宗教も国家の統制下にある。
 「社会に悪影響がない」と認められた宗教活動は認められる。
 新興宗教の活動は認められていない。
 国外にある宗教団体が、中国共産党・政府と極めて親密な関係にあっても、中国側が新興宗教とみなした場合には中国国内における活動を認めていない。
  共産党員は、宗教を信じることが認められていない。
 しかし最近では、共産党員が宗教を信じるケースが多く、中国共産党は問題視している。
 一方で、共産党の幹部養成機関である「党校」で、“儒教”の経典である易経などの講座が設けられて人気を集めるなどの現象もある。



サーチナニュース 2014-05-02 14:00
http://news.searchina.net/id/1531437

中国「宗教関連」で思想引き締めか
・・・官僚の<迷信問題>で記事連続

 中国国営の新華社など、中国の複数の有力メディアが4月末から5月1日にかけて、「官僚と迷信」の問題を解説する記事を発表した。
 4月29日には、共産党四川省委員会の副書記だった李春城容疑者について、これまでに判明した犯罪行為に「封建的迷信活動」があることが明らかにされた。
 官僚や共産党関係者の不正行為として「迷信」が挙げられることは異例であり、習近平政権が進めている綱紀粛正の一環として、「宗教問題に関係する思想引き締め」が本格化する可能性がある。

 中国中央人民広播電台(中国中央人民ラジオ局)は4月29日付で、西省永済市の鸛雀楼(鸛鵲楼とも表記)の前で焼香する男性と娘を紹介。
 鶴雀楼は唐代の詩人、王之渙の「登鸛雀楼(鸛雀楼に登る。
 日本では「登鸛鵲楼」と書かれる場合が多い)」で有名で、同詩に「更上一層楼(さらに登る、一層の楼)」とあることから、出世を願う官僚の祈りの対象になることが多いと紹介。
  同記事は、鸛雀楼に祈りをささげる行為を
 「牽強付会。実に滑稽」、
 「そのような人は、『さらに登る、一層の楼』ということにならないだけでなく、おそらく『白日依山尽(白日、山によりて尽きる)』ということになるだけだろう」
と批判した。
 「白日依山尽」も同じ詩の一部で、「太陽が沈んでいく」の意だ。
  広州日報は1日付で、権力者が迷信を信じるのは、財産や地位など、自分の力だけでは獲得したり維持できないものをどうしても失いたくないからであり「とりわけ違法・不正に獲得した利益については、厳しい反腐敗政策が続いている現状が精神面での重圧になり、露見せずにすむかどうかは極めて微妙で不確実」であるからこそ、迷信に頼ると主張した。

  新華社も同日付で同様の趣旨の記事を配信。
 これまでにあった汚職事件の例を挙げ、容疑者が仏教や道教、風水などを信じていた場合が多いと強調した。
  同記事は西南法政大学の高一飛教授の話として
 「官僚がマルクス・レーニン主義ではなく迷信を信じる主な原因は、マルクス・レーニン主義は高尚で壮大で上級であるため、迷信の方が官僚の現実的な焦燥感を緩和する」
と指摘。
 特に権力乱用をしていたり汚職を支配している官僚は、“神秘主義”によって自らを安心させ満足感を得ようとするとした。
  中国共産党は、一般人の信仰については「社会に悪影響を与えなければ容認」との立場だが、共産党員には「マルクス・レーニン主義と解決不能な矛盾がある」として認めていない。
   実際には公務に影響のない「常識的な範囲」で自らの信仰を維持する、あるいは宗教に敬意を示す共産党員も多いが、汚職絡みで起訴が決まった容疑者の“罪状”に「迷信で国家に損失」が加えられ、同時期に有力メディアが相次いで「官僚が迷信を信じることの弊害」を主張する記事を発表していることから、
 中国では習近平政権が進めている綱紀粛正の一環として、「宗教問題に関係する思想引き締め」が本格化する可能性がある。




サーチナニュース 2014-05-07 12:41
http://news.searchina.net/id/1531630

中国宗教学会会長「極端な宗教思想には市場を与えない」=人民日報

 中国共産党機関紙の人民日報は7日付で「極端な宗教思想にいかなる市場も与えない」と題する中国宗教学会の卓新平会長の署名文章を掲載した。
 卓会長は、
 「最近、テロ犯罪事件が連続している」、
 「テロリストの背後には往々にして、極端な宗教思想の幽霊がただよっている。
 その危害と欺瞞(ぎまん)について大いに注意せねばならない」
と主張し、
 「共産党による信仰の自由の政策を貫徹」、
 「宗教活動に国家の法律と法規、政策方針を順守させること」
を求めた。

  卓会長は
 「キリスト教は“博愛”を唱え、イスラム教は“平和”を強調、仏教は“悟り”を追求する」
として、
 「宗教とは本来、人々による崇高で超越な精神を追求すること」
と主張。
 ただし
 「複雑な環境のもとで、“三股勢力(ウイグル民族などによる独立運動を指す)”は容易に、純正な信仰を歪曲し、宗教思想を誤って利用するというわざわいをもたらす」
と論じた。
 テロリストについては
 「みずからの極端な行為を“聖戦”とみなす」
と指摘した上で、
 「実際には彼は生命を汚し、教徒らが理解し守る宗教の本意を冒涜(ぼうとく)する罪をおかしている」
と批判。
 卓会長はイスラム教の聖典であるコーランの内容にも触れ、
 「聖戦の原語であるジハッドの本義は『奮闘』との解釈がある」、
 「(ジハッドとは)本来、闘努力する、艱難辛苦を恐れないこと」
と主張し、イスラム教は本来、
 「平和と従順を強調するもの」
と論じ、
 「“聖戦”の名でテロリズムを実施すること自体が、イスラム教の教えに違反する行為であり、信仰に反する」
と強調した。

  「真の宗教」の特徴として
 「勧善懲悪、仁慈と寛恕、調和と融和、徳を積み愛を示すことを尊重する」
と指摘し、
 「宗教を利用して民族分裂主義を粉飾し、これに加担し、反社会、反人類的なテロ行為を行うことは、宗教の基本的な道徳概念と社会倫理を傷つけ、破壊する」
と主張した。
 卓会長は「極端な宗教思想を取り除くための有効な方法」として、
  「われわれが、共産党の宗教の自由の政策を全面的に貫徹し、実現させねばならない」、
 「国家の憲法の宗教と信仰に対する自由の保障を順守せねばならない」
とした上で、
 「宗教が社会主義社会に適合するよう、積極的に導かねばならない」、
 「宗教活動には国家の法律、法規、政策方針を順守させねばならない」
と主張。  
 さらに、宗教関係者に対しての働きかけとして
 「宗教の中にある積極的な要素の発掘に対する努力、教義が社会の進歩と要求に合致するよう解釈すること、宗教の教義の中の善の奨励と悪の抑制、平等と寛容、貧困者の救済など、社会道徳の要求と寄り添いあう積極的な内容を発揚することなどを奨励すべきだ」
と主張した。
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 ◆解説◆ 
 上記文章の執筆者とされる卓新平氏は1955年生まれ。中国社会科学院世界宗教研究所所长、中国宗教学会会長などを兼任している。
 専門は基督教(キリスト教)と宗教哲学。
 なお、中国で「基督教」と言う場合には、いわゆるプロテスタント諸派を指す場合が多い。
 カトリックは天主教と呼ばれるのが一般的だ。
   卓氏の経歴によると、1981年に中国共産党に入党している。
 共産党員は宗教を信じることが禁じられているので、卓氏もキリスト教信者ではなく、「学問の対象」としての研究を続けていると考えてよい。
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 中国では、特定の考え方などについての「受け入れられる範囲」のことも「市場」と呼ぶすることが多い。
 1990年代ごろから多く用いられるようになった比喩的表現だ。
 ただし、市場がその本質として備えていなければならない、「公平性」や「ルール重視」などについては、さほど考慮されずに使われる場合が多い。




【輝かしい未来が描けなくなった寂しさ】



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