2014年5月3日土曜日

「中国人のクズ」あるいは「解放軍のチンドンヤ」と言われている羅援少将が吠える

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サーチナニュース 2014-05-01 10:45
http://news.searchina.net/id/1531323

タカ派将軍、またも豪語
「日米安保恐くない。オバマよ、その手は食わぬぞ」
・・・「TVで放送されます。見てくださいね」と追記

 中国人民解放軍の「タカ派将軍」として知られる羅援少将が、日本や米国に対して“挑戦的”な発言を続けている。
 4月28日にはテレビの取材に対して、日米安保条約など恐れるに足りないとして、オバマ大統領などに対して「中国はその手を食わぬぞ」などと論じた。
 羅少将は番組放送に先立ち、簡易ブログ「の微博(中国版ツイッター)」に番組における発言の“さわり”と放送時間を紹介し、視聴を呼びかけた。

 羅少将は、米国とフィリピンが軍事協力を強化し、訪日したオバマ大統領が尖閣諸島について「日米安全保障条約の対象」と発言したことについて
 「中国がいつ、他国に脅かされて阻止されたことがある? 
 新中国が成立したばかりで、国内が全く整っていなかった状況であるにも関わらず、17カ国連合軍(解説参照)に対抗したのだ」。
  「われわれはまったく恐れていない。
 今あるのは、たったひとつの日米安保条約だ。
 オバマは日米安保条約を土産にして、中国を脅せると思っていたのか。
 中国人は、その手は食わぬぞ」
などと述べた。

 羅少将は番組放送に先立ち、簡易ブログ「の微博(中国版ツイッター)」に番組における発言の“さわり”を紹介し
 「フェニックステレビの情報チャンネルにご注意ください。
 3時、7時、9時のゴールデンタイムすべてで(私の発言が)繰り返し放送されます」
と予告した。
 羅少将は日本などに対する「超強気発言」などで、一部の中国人に人気を博している。
 自国の強みと相手国の弱点だけを強調する意見が庶民をあおる状況は、戦前の日本を彷彿させる面がある。
 羅少将は軍内における「文体人員」のひとりだ。
 「文体人員」の担当は娯楽や文芸、宣伝などで、「軍事の本流」とは言えない立場だ。
 中国にかぎらず、娯楽や文芸などを担当する軍人はその他の部門の軍人に軽んじられることのないよう、階級を高めに設定する場合があるとされる。
  羅少将の「過激発言」は、軍組織の承認を得たものと考えてよいが、「軍の本音」とは限らない。
 「大衆の人気を維持する」ために、軍が“問題発言”をあえて容認している可能性もある。
  中国では軍が極めて大きな権威と政治的発言力を持っているが、現在の「地位」を維持し、さらに向上させるには、やはり大衆の支持が大きな力となるからだ。

  羅少将は「宣伝」に熱心に取り組んでいるが、「失態」をみせたこともある。
 羅少将の微博に
 「羅援少将は軍人であり、学者だ。
 北朝鮮核問題への見解は素晴らしい。
 彼の提案は情に合い理にかなっている。
 テレビでの軍事評論も、もっとも視聴者に歓迎されている」
と大絶賛した書き込みに付記されている投稿者のアカウントも羅少将自身のもので、非難と嘲笑が殺到したことがある。
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 ◆解説◆
  羅少将が述べた「17カ国連合軍に対抗」とは1950年に始まった朝鮮戦争を指すと考えてよい。
 同戦争では北朝鮮の攻撃に韓国軍が総崩れとなったため、米国は国連を動かし、国連軍としての「侵略阻止」を決定。国連軍には17カ国が参加したが、主力は米軍だった。
   北朝鮮軍が総崩れになると、中国が参戦。
 ただし、正規の軍ではなく「中国人民志願軍」という、「友邦を救うための、人民によるボランティア軍」の形式とした。
 羅少将が「朝鮮戦争」の名を口にしなかったのは、「中国軍として参戦したのではない」との形式面に配慮したと考えられる。
  中国が「中国人民志願軍」という異例の形式を採用したのは、米軍などの中国侵攻が中国にとって「この上ない恐怖」であり、「国として参戦したのではない」との口実を整えるためだった。



サーチナニュース 2014-05-02 21:27
http://news.searchina.net/id/1531460

タカ派将軍が発言
「中国が求めていたら米国は沖縄を手放すことになった。避けるためにあわてて日本に渡した」

 中国のニュースサイト「参考消息網」は2日付で、中国人民解放軍の「タカ派将軍」として知られる羅援少将が中国の海洋戦略について答えたインタビュー記事を掲載した。
 同記事中、羅少将は1972年の沖縄返還について、
 「米中関係は緩和しはじめ、国交樹立の可能性が出ていた。
 国交樹立後に中国が琉球諸島に対する主権を要求したら、米国は沖縄の軍事基地を失うことになった」、
 「だから、大あわてで日本に渡した」
と述べた。

  羅少将は中国と周辺国家の主権についての争いについて、
 「米国はいつも、一方をえこひいきする」
と主張。
 尖閣諸島の問題についても「米国が一手にもたらした」と主張した。
 尖閣諸島については歴史的に中国のものであり、ポツダム宣言により日本は台湾などとともに尖閣諸島を中国に返還せねばならなかったと、中国の公式見解を述べた上で、沖縄返還については米国が
 「米中関係は緩和しはじめ、国交樹立の可能性が出ていた。
 国交樹立後に中国が琉球諸島に対する主権を要求したら、米国は沖縄の軍事基地を失うことになる」
ことを考慮したと主張。  
 そのため、米国は「大あわてで日本に渡した」と述べた。
 羅少将は
 「もしも、1951年のサンフランシスコ条約がなく、もしも1953年に米国が琉球諸島の統治を始めた際に釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)を琉球諸島に組み入れず、もしも米国が1971年に釣魚島も琉球諸島と一緒に日本に渡さなければ、現在の釣魚島の問題は存在しない」
と論じ、釣魚島の問題は「そもそも米国が作り出したものだ」と主張した。

  沖縄についても「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」が日本の主権が及ぶ範囲とさだめた「四国、九州、本州、北海道と、戦勝国がさだめるいくつかの小さな島」には含まれないと主張。
 「ましてや釣魚島、南千島諸島、韓国の言う独島は、日本の主権の及ぶ範囲に含まれない」
との考えを示した。
  羅少将は日本がロシアと北方領土の問題、韓国と竹島の問題を抱えていると指摘。
 日本が領土を失ったのは
 「第二次世界大戦の敗戦国がしはらわねばならない、歴史の代償」
と指摘し、
 「中国はロシア、韓国、場合によっては米国と第二次世界大戦の勝利の果実を維持するための統一戦線を結成せねばならない」
と主張。
 日本については
 「現在、歴史の古い案件を覆したいと考えている」、
 「敗戦国として金縛りにされている状態から脱却したいとしている」
として、日本に対して強く対処するべきとの考えを示した。
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  ◆解説◆ 
 1951年に署名、52年に発効したサンフランシスコ講和条約で日本は独立を回復したが、同条約により沖縄は米国の施政権下に置かれるとされた(日本領であるが米国が統治を続ける)。
 羅少将が米国の沖縄統治にかんして、なぜ「1953年」を区切りの年としたかは不明。
 なお、中国共産党機関紙の人民日報は同年1月8日付の記事「琉球諸島人民による反米闘争」で、琉球諸島について「尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、トカラ諸島、大隈諸島など7つの島嶼からなっており」と説明している。
  また、カイロ宣言は連合国側について
 「日本の侵略を制止し、罰するために今回の戦争を実施している」
とはしているが
 「連合国は自国のために何らの利益を要求するものではない」、
 「領土拡張の考えもまったく有していない」
との内容を盛り込んでいる。
 ソ連、さらにロシアが北方領土を「戦争の結果として自国領になった」と説明しているのは羅援少将がよりどころとするカイロ宣言と矛盾することになるが、羅少将は、その点には触れていない。
  また、韓国は第二次世界大戦の当時、日本に併合されていた。
 1910年代末には中国内で独立を目指す「大韓民国臨時政府」が結成され、同「政府」は1940年9月に12人からなる韓国光復軍を創設したが、日本軍と正式に交戦することはなかった。
   日本による統治システムに乗らないと世に頭角をあらわすことができないという事情はあったが、当時は多くの朝鮮人が日本軍に入隊した。
 朝鮮人兵士については志願制であり、戦争末期には徴兵検査も行われたが訓練中に終戦を迎えた。
   1943年に朝鮮で実施した特別志願兵の募集では、採用6300人に対して30万人以上が応募した。
 第二次世界大戦における戦死者は2万1000人以上で、特攻隊員として出撃して戦死した朝鮮人兵士もいる。
   また、大日本帝国陸軍の洪思翊中将は戦後、戦犯としてフィリピンで処刑された。
 捕虜収容所の所長を務めたが、物資不足のために食料の調達が十分にできなかったことが「捕虜虐待」とされた。
 裁判に臨んだ洪中将が一切の弁明をしなかったことが、死刑判決に結びついたとされる。
 戦争の是非はともかく、第二次世界大戦時には韓国は日本の一部であり、戦いで命を落とした朝鮮人将兵も多かった。
 さらに、韓国独立後に同国軍の幹部になった元日本軍人も多い。
 朴正煕大統領も日本の陸軍士官学校で学び、満州国軍の中尉になった。
   羅少将がどのような根拠で、韓国を「第二次世界大戦の勝利の果実」を受ける側と考えたのかは不明だ。




【輝かしい未来が描けなくなった寂しさ】


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